言文一致
小説の会話の部分に口語体を使用する書き方自体は江戸時代からあったのですが、文章表現を口語にする運動が始まったのは、明治初年からと言われています。
多分に文明開化の影響もあったと思われますが、明治時代の言文一致を語るうえで欠かせない小説家は、二葉亭四迷、山田美妙、尾崎紅葉の三人です。
「浮雲」「あひびき」などの作品で知られる二葉亭四迷は、内容と表現の一致を求めようとする作家的自覚から、小説の地の文を「だ」調で書き表しました。
これは、小説文体上の一大革命と言えるものでした。
同じ頃、「武蔵野」「胡蝶」らの作品で有名な山田美妙は「です」調の言文一致体を使って小説を書いていたのですが、1920年代以降は再び雅俗折衷体が盛んになってきます。
そういった経緯で言文一致体が復活するのは、尾崎紅葉が「多情多恨」(明治29年)などで「である」調が洗練されたものとなったあとのことです。
明治40年代に入って、近代小説唯一の文体として確立して、白樺派の作家たちによって完成を見ることになります。
多分に文明開化の影響もあったと思われますが、明治時代の言文一致を語るうえで欠かせない小説家は、二葉亭四迷、山田美妙、尾崎紅葉の三人です。
「浮雲」「あひびき」などの作品で知られる二葉亭四迷は、内容と表現の一致を求めようとする作家的自覚から、小説の地の文を「だ」調で書き表しました。
これは、小説文体上の一大革命と言えるものでした。
同じ頃、「武蔵野」「胡蝶」らの作品で有名な山田美妙は「です」調の言文一致体を使って小説を書いていたのですが、1920年代以降は再び雅俗折衷体が盛んになってきます。
そういった経緯で言文一致体が復活するのは、尾崎紅葉が「多情多恨」(明治29年)などで「である」調が洗練されたものとなったあとのことです。
明治40年代に入って、近代小説唯一の文体として確立して、白樺派の作家たちによって完成を見ることになります。
01.内閣総理大臣