大日本帝国憲法の特色
1889年に発布された大日本帝国は天皇が国民に下付するという形で制定された欽定憲法である。
大日本帝国憲法では主権が天皇にあることを基本として、官制の制定、文武官の任免、宣戦・講和の決定と条約の締結、緊急勅令の発布・議会の召集・衆議院の解散権などは天皇大権とし、議会の関与できない事項になった。
天皇大権の中心をなす陸海軍の統帥権は議会、政府からも独立することになった。
政府の官吏は天皇の官吏であり、国務大臣も天皇に責任を負うもので、議会と国民に対する責任は明確にされていなかった。議会にかけることなく発布できる命令の範囲も広かった。
議会は、特権階級(皇族、華族、勅撰議員など)から構成される貴族院と、制限選挙で選ばれる公選議員から構成される衆議院があった。
しかしながら、衆議院には予算の先議権があるだけで、貴族院と権限はかわらなかった。
国民の基本的権利として信教の自由、言論集会結社の自由が明文化されたものの、どれも法律の範囲内と制限がつけられた。(これを法律用語で「法律の留保」という)
つまり、法律の改定によって、国民の権利はいかんともすることができたのである。(もちろん権利の削除の方が多かった)
大日本帝国憲法では主権が天皇にあることを基本として、官制の制定、文武官の任免、宣戦・講和の決定と条約の締結、緊急勅令の発布・議会の召集・衆議院の解散権などは天皇大権とし、議会の関与できない事項になった。
天皇大権の中心をなす陸海軍の統帥権は議会、政府からも独立することになった。
政府の官吏は天皇の官吏であり、国務大臣も天皇に責任を負うもので、議会と国民に対する責任は明確にされていなかった。議会にかけることなく発布できる命令の範囲も広かった。
議会は、特権階級(皇族、華族、勅撰議員など)から構成される貴族院と、制限選挙で選ばれる公選議員から構成される衆議院があった。
しかしながら、衆議院には予算の先議権があるだけで、貴族院と権限はかわらなかった。
国民の基本的権利として信教の自由、言論集会結社の自由が明文化されたものの、どれも法律の範囲内と制限がつけられた。(これを法律用語で「法律の留保」という)
つまり、法律の改定によって、国民の権利はいかんともすることができたのである。(もちろん権利の削除の方が多かった)
01.内閣総理大臣