日露戦争後の労働運動
日露戦争では日清戦争とは違い、賠償金も得られなかったので、財政の重圧は戦後も続いた。
鉄道国有法の公布や南満州鉄道株式会社の発足(ともに1906年)は、一時的に戦時景気を引き延ばしたが、1907年から戦後恐慌がひろがり、慢性的な不況に陥っていく。
そんな中で労働運動も活発化するが、日露戦争以前は熟練工中心の労働運動だったものが、日露戦争後になると1907年の足尾暴動のように、一般労働者が会社と直接対立する争議ように、状況が様変わりしてきた。
民衆の不満の声が高まる中で、日露戦争中も「平民新聞」を発行して反戦を唱えていた社会主義者が1906年に初めての合法政党である日本社会党を結成するが、弾圧が強化されて合法活動が困難な状況に追い込まれていった。
鉄道国有法の公布や南満州鉄道株式会社の発足(ともに1906年)は、一時的に戦時景気を引き延ばしたが、1907年から戦後恐慌がひろがり、慢性的な不況に陥っていく。
そんな中で労働運動も活発化するが、日露戦争以前は熟練工中心の労働運動だったものが、日露戦争後になると1907年の足尾暴動のように、一般労働者が会社と直接対立する争議ように、状況が様変わりしてきた。
民衆の不満の声が高まる中で、日露戦争中も「平民新聞」を発行して反戦を唱えていた社会主義者が1906年に初めての合法政党である日本社会党を結成するが、弾圧が強化されて合法活動が困難な状況に追い込まれていった。
01.内閣総理大臣