露を伴って寝たから露伴
幸田露伴は大政奉還の年(1867年)に江戸神田の旧幕臣の四男として生まれた。
電信修技学校を卒業後、電信技師として北海道に赴任し、貧しいながらも安定した生活を手にしたが、文学を志し上京することにする。
幸田露伴が上京したのは明治20年のこと。旅費をやりくりしての上京だったので、途中で野宿して文字通り「露を伴って寝た」ことから、ペンネームを露伴とした。
明治22年に「露団々(つゆだんだん)」でデビューして注目を集め、「五重塔」で文壇に確固たる地位を築くことになる。
同い年の尾崎紅葉とはライバル関係で「紅露時代」と言われた。
野球で「ON時代」と言われ並び称された好対照な、王と長嶋がいたように、幸田露伴と尾崎紅葉も好対照であった。
女性の描写を得意とし、大衆受けのする流行作家だった尾崎紅葉に対し、男性を描くことが多く、理想主義を貫き、学者肌だった幸田露伴というように、ふたりは対照的なライバルだったのである。
電信修技学校を卒業後、電信技師として北海道に赴任し、貧しいながらも安定した生活を手にしたが、文学を志し上京することにする。
幸田露伴が上京したのは明治20年のこと。旅費をやりくりしての上京だったので、途中で野宿して文字通り「露を伴って寝た」ことから、ペンネームを露伴とした。
明治22年に「露団々(つゆだんだん)」でデビューして注目を集め、「五重塔」で文壇に確固たる地位を築くことになる。
同い年の尾崎紅葉とはライバル関係で「紅露時代」と言われた。
野球で「ON時代」と言われ並び称された好対照な、王と長嶋がいたように、幸田露伴と尾崎紅葉も好対照であった。
女性の描写を得意とし、大衆受けのする流行作家だった尾崎紅葉に対し、男性を描くことが多く、理想主義を貫き、学者肌だった幸田露伴というように、ふたりは対照的なライバルだったのである。
01.内閣総理大臣