森鴎外歴史上の人物【明治時代の人物】

歴史上の人物を紹介します。明治時代の人物を簡単に説明します

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自然主義に対する永井荷風の態度

当初ゾライズムに傾倒し、自然主義的作品を書いた永井荷風であるが、五年間にわたるアメリカ、フランスでの海外生活ののちには明確な反自然主義者となった。


その永井荷風の自然主義に対する態度は、「新帰朝者日記」に書かれているので、それを下に引用することにする。


今日若い書生の頻に称道する自然主義の芸術の如きは、到底吾々の了解に得られぬものである。彼らは美辞麗句を連ねて微妙の思想を現はすことを虚偽だとか遊戯だとか云つて此れを卑むらしく思はれるが、文学の真髄はつまる処虚偽と遊戯この二つよりほかにはない。それを卑むならば、寧ろ文学に関与(たずさ)はらぬ方がよいのである。


このようにかなり厳しい口調で、自然主義者の書生について述べている。


ちなみに永井荷風は森鴎外死去の後、森茉莉の後見人になった人物としても有名である。まま、いってみれば「おまりをひとりで置いていく(死ぬ)のは大変心配だから、私が死んだあとはどうかおまりの面倒を見てやってほしい」と森林太郎が娘のその後を託したとでもいえばいいかな。

森鷗外のひげ

森鷗外というと明治の文豪というイメージが強いですが、彼は本来文豪であるよりも、軍医であるという人間です。


しかもかなり高い地位に上り詰めた人なので、官僚的な人間でもあります。


森鷗外の写真は国語便覧などに載っていますが、彼のトレードマークはなんといってもあのカイゼルひげでしょう。


八の字にピンとしているひげのことです。


これはなにも伊達や酔狂でこういうひげにしていたわけではありません。


当時、ひげを生やすことのできる人というのは限られていました。


ひげは官僚や学者などだけがはやすことのできるものだったのです。


ということはすなわち、明治時代の写真を見て、カイゼル髭をはやしている人というのはみなそのような地位の高い人だということができます。


夏目漱石もひげをはやして写真を撮っていますが、これも彼の社会的地位を表しているということです。

森鴎外は甘党だった

森鴎外と言いますと、文豪であり政治家としても頂点だった人物ですが、娘さんの著作によると、森鴎外は甘党だったということです。

考えてみれば、森鴎外の娘の森茉莉の食べ物の好きなところから考えれば、それほどおかしくはないですよね。生活力のない森茉莉も料理だけは天才的だったと言いますので。


どこまで本当かわからないですが、森鴎外の甘党もきわまっていて、饅頭を茶漬け(湯漬けでしょうか?)にして食べていたそうですので。

森鴎外の気持ちを味わいたい人は、饅頭の茶漬けを試して見てください。