正岡子規歴史上の人物【明治時代の人物】

歴史上の人物を紹介します。明治時代の人物を簡単に説明します

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正岡子規はウソが嫌い

正岡子規は明治時代の歌人ですが、写生の説を唱えことも有名です。


その正岡子規が酷評したのが、小倉百人一首の29番目に収録されている凡河内躬恒(おおこうちのみつね)の和歌です。


心あてに折らばや折らむ初霜のおきとどませる白菊の花


というもですが、意味は「もし折り取るとしたら、当て推量で取り折ろうか。初霜が一面に降りて、その白さのために見分けがつかなくなっている白菊の花を」という意味です。(「折らむ」を「折り取ることができるだろう」と可能の意味で訳す人もいます)


古今和歌集にも収められている有名な歌ですが、写生の説を唱えた正岡子規にはこれがどうしても我慢ならなかったようです。


正岡子規は「歌よみに与ふる書」の中でこの歌の評を書いているのですが、それを引用してみましょう。


「此躬恒の歌百人一首にあれば、だれも口ずさみ候へども、一文半の値打ちも無之駄文歌に御座候。此歌は嘘の趣向なり。初霜が置いた位で白菊が見えなくなる気遣い無之候。趣向嘘なれば、趣も絲瓜も有之不申、……」


つまり、簡単にいうと「この凡河内躬恒の歌は、百人一首に収められているので、だれでも口ずさむことがございますが、一文半の値打ちもないくだらない歌でございます。この歌は嘘の趣向です。初霜がおりたくらいで、白菊が見えなくなるということはありません。趣向が嘘なので、その趣もヘチマもあるとはいうことができませんし、……」ということです。


誇張による歌だからよくないと、この歌をこっぴどく批評したわけです。


正岡子規は自ら写生の説を唱えるくらいですから、この歌には耐えられなかったわけです。


「心あてに……」の歌は、正岡子規には嫌われてしまったようですが、古今和歌集に取り上げられているくらいですので、理知と知性で歌を作り上げることがよいとされていた古今和歌集時代の特色を発揮した名歌だと評されています。

高浜虚子と正岡子規

明治時代の文人として、わすれてはならない人に、高浜虚子がいます。正岡子規の弟分といいましょうか、「虚子」の名前を付けたのは正岡子規ということになっています。

また、ここには詳しく書きませんが、日本を代表する文豪の夏目漱石とのかかわりあいも有名ですね。「吾輩は猫である」という題名の発案者ではないか、と言われたりしています。


ちなみに、高浜虚子の本名は、高濱 清(たかはま きよし)ですので、本名をもじった感じが筆名になったということでしょうか。子規らしい遊び心と言えなくもないですよね。

正岡子規と野球

正岡子規は、逸話の多い人物で、有名な話ですと、ベースボールを「野球」と名付けたと言われています(異論あり)。

正岡子規の幼名である「升(のぼる)」から「野球(の・ぼーる)」となったというわけです。


結核のイメージの強かった正岡子規ですが、血を吐いて病気的に続けることができなくなるまで、野球の選手だったとも言われています。

野球に関係のある俳句もいくつか詠んでいますので、興味がありましたら、ご覧になってください。正岡子規と野球というと、ちょっと不思議な感じはしますが

正岡子規と結核

明治時代の文豪でもある夏目漱石にも影響を与えた人物として、正岡子規があげられます。

正岡子規の人物を語る上で、なくてはならないものが、「結核」ですね。現在では、「癌」や成人病におびえる人が多いですが、かつて結核におびえる人も多かったわけです。歴史小説などがお好きな方には、おなじみの設定なので、想像できる人も多いと思いますが。


また、正岡子規というと「ホトトギス」の名前も持っていますが、これも結核で血を吐いてまで詠んでいた自分と、血を吐きながら鳴くと言われるホトトギスのイメージをだぶらせたものなんですよね。

ちなみに、辞世の句「糸瓜咲て痰のつまりし佛かな」で、9月19日は「糸瓜忌」と呼ばれています。