領事裁判権の撤廃
明治新政府の最大の課題は大きく分けてふたつの事柄だった。
ひとつは関税自主権の回復、もうひとつは領事裁判権の撤廃である。
これらは、江戸時代末期の安政の5カ国条約に端を発している。
そして、陸奥宗光は領事裁判権の撤廃に取り組んだ政治家だった。
領事裁判権の撤廃については、井上馨、大隈重信、青木周蔵という一連の交渉が功を奏し、青木周蔵のときには事実上撤廃が実現しようとしていた。
しかしながら、大津事件の責任をとり、青木周蔵が辞任してしまったため、後任の陸奥宗光に交渉が引き継がれ、彼によって1894年にようやく撤廃に成功するのである。
ひとつは関税自主権の回復、もうひとつは領事裁判権の撤廃である。
これらは、江戸時代末期の安政の5カ国条約に端を発している。
そして、陸奥宗光は領事裁判権の撤廃に取り組んだ政治家だった。
領事裁判権の撤廃については、井上馨、大隈重信、青木周蔵という一連の交渉が功を奏し、青木周蔵のときには事実上撤廃が実現しようとしていた。
しかしながら、大津事件の責任をとり、青木周蔵が辞任してしまったため、後任の陸奥宗光に交渉が引き継がれ、彼によって1894年にようやく撤廃に成功するのである。
01.内閣総理大臣