欧化政策
幕末に条約締結を迫られ、それを拒否すると黒船からドーンドーンと大砲を撃たれて脅された江戸幕府は仕方なくかなり日本に不平等である条約を結ばされたわけだが、明治の御代となり、これからは鎖国もやめて近代化だ!! と意気込んでいたわけです。
ですが、まず前に立ちはだかったのが不平等条約。どう考えても日本に不利すぎるこのさまざまな条約をなんとか「平等条約」に改約しなければならないというのが、明治新政府の政治家たちの最たる問題でした。
それで、岩倉使節団なるものを欧米に派遣してみたものの、あたりまえですが、条約改定についてはそっぽを向かれてしまう。困った困ったと頭を抱える日本政府なのでした。
しかし、欧米には欧米なりの正当な考えがあったわけなんですね(そうでない部分も多々ありましたが)。
欧米はもうすでに近代化した世界ですから(ドイツにいたっては1600年初頭の30年戦争終結を目安に近代という区分になりました)、憲法もありそれにもとづく法律もたくさんあるわけです。
それなのに、日本には憲法すらない。そんな国と対等な条約を結べるもんか!!と言われたわけですね。(しかし、無理無体に開国を迫ったのは欧米なのですけれど)
それで、日本もこりゃあいかん!!というわけで憲法を制定したり、法律を作ったりし始めるわけです。
そしてもうひとつ不平等条約のネックになっていたのが、日本がアジアだということなのです。欧米の人たちにしてみれば、アジアというのは植民地にするような場所であり(インドがそのいい例)、対等に付き合う国ではないという考えも根強かったのです。つまり、日本はアジアであり、アジアは未開であるという理論です。
ですから、日本は不平等条約を改定するためにも、なんとか諸外国に対して「日本は文明国なんだぞ!!」と言ってみせなくてはならなかったのです。
そこで、これ以上ない単純さを持ち出し、かつそれを実行したのが井上馨です。
彼は欧化政策なるものを打ち立て、日本を欧米化することに心血をそそぎました。欧米化するといっても、日本は日本ですし、日本人は日本人なのですから、無理無体な問題も山積みだったわけですが、とにかく欧米の真似をしたのです。
今でもあまり変わっていないところが日本の怖いところですが、とにかく外見をまねたわけです。
欧米で着るような服を着、外国の言葉をしゃべり、西洋人が食べるようなものを食べ、舞踏会を開く。その舞踏会のために作られたのが鹿鳴館です。鹿鳴館の設計者はイギリス人のコンドルです。
鹿鳴館に出入りできるのは、皇族、華族と上流階級の外国人だけでした。ここで毎夜のごとく舞踏会を開いたわけです。当時流行った鹿鳴館ルックとでもいうようなドレスを女性は競って仕立てさせたて着たのでした。
当時の日本の華族の子女はフランス語とダンスがたしなみといわれ、みなそれをできるように家庭教師についたりして習ったわけですが、実のところはそれほど上手でない方も多かったようです。
当時日本に来たフランスの将校が、「日本の女性はみなフランス語とダンスができるというが、フランス語はよく聞き取れないし、ダンスはねじ巻き人形のようにぎこちなく、演奏の途中で何度も止まり、その度に最初からやり直さなければならなかった」という書簡を本国に送っています。
夏目漱石の言う「上滑りの文化」とは本当だったようです。
ですが、まず前に立ちはだかったのが不平等条約。どう考えても日本に不利すぎるこのさまざまな条約をなんとか「平等条約」に改約しなければならないというのが、明治新政府の政治家たちの最たる問題でした。
それで、岩倉使節団なるものを欧米に派遣してみたものの、あたりまえですが、条約改定についてはそっぽを向かれてしまう。困った困ったと頭を抱える日本政府なのでした。
しかし、欧米には欧米なりの正当な考えがあったわけなんですね(そうでない部分も多々ありましたが)。
欧米はもうすでに近代化した世界ですから(ドイツにいたっては1600年初頭の30年戦争終結を目安に近代という区分になりました)、憲法もありそれにもとづく法律もたくさんあるわけです。
それなのに、日本には憲法すらない。そんな国と対等な条約を結べるもんか!!と言われたわけですね。(しかし、無理無体に開国を迫ったのは欧米なのですけれど)
それで、日本もこりゃあいかん!!というわけで憲法を制定したり、法律を作ったりし始めるわけです。
そしてもうひとつ不平等条約のネックになっていたのが、日本がアジアだということなのです。欧米の人たちにしてみれば、アジアというのは植民地にするような場所であり(インドがそのいい例)、対等に付き合う国ではないという考えも根強かったのです。つまり、日本はアジアであり、アジアは未開であるという理論です。
ですから、日本は不平等条約を改定するためにも、なんとか諸外国に対して「日本は文明国なんだぞ!!」と言ってみせなくてはならなかったのです。
そこで、これ以上ない単純さを持ち出し、かつそれを実行したのが井上馨です。
彼は欧化政策なるものを打ち立て、日本を欧米化することに心血をそそぎました。欧米化するといっても、日本は日本ですし、日本人は日本人なのですから、無理無体な問題も山積みだったわけですが、とにかく欧米の真似をしたのです。
今でもあまり変わっていないところが日本の怖いところですが、とにかく外見をまねたわけです。
欧米で着るような服を着、外国の言葉をしゃべり、西洋人が食べるようなものを食べ、舞踏会を開く。その舞踏会のために作られたのが鹿鳴館です。鹿鳴館の設計者はイギリス人のコンドルです。
鹿鳴館に出入りできるのは、皇族、華族と上流階級の外国人だけでした。ここで毎夜のごとく舞踏会を開いたわけです。当時流行った鹿鳴館ルックとでもいうようなドレスを女性は競って仕立てさせたて着たのでした。
当時の日本の華族の子女はフランス語とダンスがたしなみといわれ、みなそれをできるように家庭教師についたりして習ったわけですが、実のところはそれほど上手でない方も多かったようです。
当時日本に来たフランスの将校が、「日本の女性はみなフランス語とダンスができるというが、フランス語はよく聞き取れないし、ダンスはねじ巻き人形のようにぎこちなく、演奏の途中で何度も止まり、その度に最初からやり直さなければならなかった」という書簡を本国に送っています。
夏目漱石の言う「上滑りの文化」とは本当だったようです。
01.内閣総理大臣