勝海舟歴史上の人物【明治時代の人物】

歴史上の人物を紹介します。明治時代の人物を簡単に説明します

歴史上の人物を紹介します。明治時代の人物を簡単に説明します




スポンサードリンク


咸臨丸艦長勝海舟

勝海舟は名を義邦(よしくに)といい、海舟というのは号である。


幕臣であったが、1860年に咸臨丸艦長として遣米使節(司令官は木村喜毅)に随行する。


咸臨丸というのは約300トンの幕府の木造軍艦で、1857年にオランダから購入したものである。


日本としてははじめて太平洋横断に成功した船でもある。


咸臨丸で太平洋を横断しアメリカ・サンフランシスコへ渡航し、要した日程は37日であった。


この米国渡航の計画を起こしたのは岩瀬忠震ら、一橋派の幕臣なのだが、彼らは安政の大獄で引退を余儀なくされたため、木村摂津守が軍艦奉行並となり、勝は遣米使節の補充員として乗船した。


米海軍からは測量船フェニモア・クーパー号船長のジョン・ブルック大尉が同乗した。


また通訳としてジョン万次郎、木村の従者福沢諭吉も乗り込んだ。福沢諭吉というと、今ではたいへん有名であるが、この当時は司令官木村の個人的な従者という立場でやっと船に乗り込むことができたのである。


咸臨丸の航海の成功を、勝海舟も福沢諭吉も「日本人の手で成し遂げた壮挙」と自讃しているのだが、実際には日本人乗組員は船酔いのためにほとんど役に立たなかったらしい。 つまり、米海軍のブルック大尉らがいなければ渡米できなかったという説もあるくらいである。


また、船酔いでダウン寸前だった勝海舟がアメリカが見えた途端に大いばりを始めたという逸話がある。


大いばりを始め、かつ自分の羽織を棒にくくりつけて練り歩こうとしたのをみっともないからやめろと同行者に止められたという話は、それを実際に目撃した福沢諭吉が本に書き残している。