松方正義歴史上の人物【明治時代の人物】

歴史上の人物を紹介します。明治時代の人物を簡単に説明します

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松方デフレ政策と寄生地主制度

地租改正で土地私有権の確立という前提が満たされたわけだが、その後に起こったインフレで物納小作料と金納地租との差額が生まれることになった。


物納小作料と金納地租の差額収入を増やしてきた地主が、松方デフレ政策で没落した農民の土地を手に入れるようになったのは必然のなりゆきである。


その後財政が安定して近代工業が発展するとともに、小作米販売の利益も増大し、ますます収入を増やしてきた地主は、小作料収入に依存する寄生地主としての支配を完成させたのであった。


1889年に大日本帝国憲法が発布され、明治憲法体制は明治維新で成立した藩閥官僚の支配を、寄生地主を中心とする地域有力者を社会的基礎に据えて編成することによって、安定させたものといえる。

官営工場の払い下げ

開国を経て、明治維新後になると、日本は西欧諸国からずいぶん遅れをとっていることを痛感し、なんとか西洋に「追いつけ追い越せ」という気概で国政を行ってきた。


その際、一番のネックになったのは工業であり、この工業を近代化するために、官営工場として鉱山や製糸所、造船所などを国が経営してきた。これがいわゆる殖産興業というものである。


しかしながら、時代が下ってくると、官営工場にかかる費用が国費を圧迫するようになってきたので、これらを民間に払い下げようということになった。


この官営工場の払い下げを推進したのが、当時大蔵卿だった松方正義である。


彼は1880年の工場払い下げ概則制定により実施したわけだが、これは当初うまくいかなかった。


それもそのはずで、官営工場の払い下げ条件が厳しかっのである。


払い下げが進展しないので、1884年に払い下げ概則を廃止することによってようやく払い下げが軌道に乗ることになる。


この際、造幣、通信等は、国が管理すべきものとして払い下げの対象にはならなかった。


三井や三菱といった政府との関係が深い資本家に、官営工場が払い下げられることが多かった。これは後の財閥形成の初段階ともいえる。