山縣有朋歴史上の人物【明治時代の人物】

歴史上の人物を紹介します。明治時代の人物を簡単に説明します

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隈板内閣から治安警察法まで

1884年の日清戦争を機に、政府も政党も民党も含めて対外強攻策の面で協調し始めるようになる。


日清戦争後は、資本家の発言権も増大したので民党が与党化し、1898年には自由党と進歩党(立憲改進党は立憲革新党・大手倶楽部等国権派と合同して進歩党を結成した)が合同した憲政党を基礎にして、最初の政党内閣である隈板内閣が生まれた。(「最初」と書いたが、本格的政党内閣は1918年の原敬内閣を待たねばならない。ちなみに原敬は爵位を持っていなかったので「平民宰相」と呼ばれたことで有名である)


しかし、内部対立のために早期崩壊したのちに組閣したのが第2次山県有朋内閣である。(「県」「縣」の省略形であるが、山川出版社の日本史B用語集では「県」の字を用いているので、以降「県」と記す)


山県有朋内閣は、地租増徴を決定して戦後経営の財政的基礎を安定させた。


これは初期議会以来の政府・民党の対立点に終止符を打つとともに、文官任用令の改正や軍部大臣現役武官制の採用によって、官僚機構や軍の内部への政党勢力の進出防止をはかる一方で、衆議院議院選挙法の一部改正や治安警察法の制定した。


こうして日本の産業革命後に起こった労働運動や、普通選挙運動にも素早く対策を講じたのだった。


治安警察法は、1875年に出された新聞紙条例から、1880年の集会条例などの弾圧諸法を集大成するとともに、組合運動の抑圧がはかられることになった。