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明治時代の人物について
明治維新によって、それまでの江戸幕府の幕藩体制から明治政府による政治に転換したということもあって、歴史上、語り継がれる人物が多いですね。
歴史だけではなく、ドラマや映画、小説などでモデルにされる人物も多く、明治時代の人物の名前は、一般にも浸透していると言えます。
批判もありますが、江戸から短期間に西欧の列強国に並ぶような国家を築き上げたことは、西洋をはじめ諸外国からは「奇跡」と評価されています。アジアでもモデルケースされたりしました。

【岩倉使節団。右から大久保利通、
伊藤博文、岩倉具視、山口尚芳、木戸孝允】
この歴史上の人物【明治時代の人物】infoでは、政治だけではなく、文化などで名前を残した歴史上の人物を紹介する予定です。特に問題のないかぎり画像や地図なども利用したいと考えております。
簡単なエピソードなどもまじえて人物にせまることができれば幸いだと考えております。
歴史だけではなく、ドラマや映画、小説などでモデルにされる人物も多く、明治時代の人物の名前は、一般にも浸透していると言えます。
批判もありますが、江戸から短期間に西欧の列強国に並ぶような国家を築き上げたことは、西洋をはじめ諸外国からは「奇跡」と評価されています。アジアでもモデルケースされたりしました。

【岩倉使節団。右から大久保利通、
伊藤博文、岩倉具視、山口尚芳、木戸孝允】
この歴史上の人物【明治時代の人物】infoでは、政治だけではなく、文化などで名前を残した歴史上の人物を紹介する予定です。特に問題のないかぎり画像や地図なども利用したいと考えております。
簡単なエピソードなどもまじえて人物にせまることができれば幸いだと考えております。
西郷隆盛とは
歴史上の人物として絶大な人気を誇るのが、この西郷隆盛です。
小説やドラマ、映画と引っ張りだこですよね。
「維新の三傑」の一人として、明治維新で活躍した人物です。明治維新の時代にはよくあったことですが、もともと薩摩藩の下級武士で、自分の才覚だけで活躍した人物とも言えます。
教科書やフィクションの世界では、大柄な体格と温厚な顔で親しまれていますね。
出典:エドアルド・キヨッソーネによる西郷隆盛のコンテ画。ただし、キヨッソーネは西郷の顔を見たことがない。
小説やドラマ、映画と引っ張りだこですよね。
「維新の三傑」の一人として、明治維新で活躍した人物です。明治維新の時代にはよくあったことですが、もともと薩摩藩の下級武士で、自分の才覚だけで活躍した人物とも言えます。
教科書やフィクションの世界では、大柄な体格と温厚な顔で親しまれていますね。
出典:エドアルド・キヨッソーネによる西郷隆盛のコンテ画。ただし、キヨッソーネは西郷の顔を見たことがない。
西郷隆盛像は本人ではない
西郷隆盛像ほど、有名な人物像はないのではないかと思うくらい有名な銅像が、東京都台東区上野の上野公園にあります。
待ち合わせ場所としても有名で、西郷さんの足下にはいつも何人もの人たちがいます。
この西郷隆盛像は高村光雲の作(傍らの犬は後藤貞行作)で、1898年12月18日に東京上野恩賜公園(当時上野公園は東京上野恩賜公園という名前でした)で除幕式が行われた。
ですが、この西郷隆盛像、本人に似ていないというのは大変有名なことらしいです。
というよりも、経緯が複雑なのですが、最初に西郷隆盛の肖像画から説明しましょう。
「西郷隆盛ってどんな顔か思い浮かべてみて」
と聞いたら、おそらく10人中9人はそれを思い浮かべるであろうあの顔。
そう、教科書や資料集に載っているあの顔ですね。
あの肖像画を描いたのがキヨッソーネというイタリア人画家であることは大変有名です。
しかし、キヨッソーネ自身は西郷隆盛と面識がなかったのです。
しかも西郷隆盛本人の写真もありませんでしたから、仕方なく(かどうかはわかりませんが)、西郷隆盛の弟である従道と従弟の大山巌の顔つきを合わせて描いたそうなのです。
つまりこの時点でもう本人ではないわけです。
それをもとに銅像を作ったからあーら大変、全くの別人になってしまったわけです。
ちなみに西郷隆盛像の除幕式に招待された西郷夫人の糸子さんは、銅像を見て「宿んし(うちの主人)はこげんなお人じゃなかったこてえ」と驚き不機嫌になったといわれています。
私なんかはこの話を聞いて、「ああ、大山巌ってこんな感じだったんだ」と別の解釈をさせていただきました(笑)
だって、大山巌って、名前はとても有名なのに、どんな顔だったかはあまり知られていないですよね?
待ち合わせ場所としても有名で、西郷さんの足下にはいつも何人もの人たちがいます。
この西郷隆盛像は高村光雲の作(傍らの犬は後藤貞行作)で、1898年12月18日に東京上野恩賜公園(当時上野公園は東京上野恩賜公園という名前でした)で除幕式が行われた。
ですが、この西郷隆盛像、本人に似ていないというのは大変有名なことらしいです。
というよりも、経緯が複雑なのですが、最初に西郷隆盛の肖像画から説明しましょう。
「西郷隆盛ってどんな顔か思い浮かべてみて」
と聞いたら、おそらく10人中9人はそれを思い浮かべるであろうあの顔。
そう、教科書や資料集に載っているあの顔ですね。
あの肖像画を描いたのがキヨッソーネというイタリア人画家であることは大変有名です。
しかし、キヨッソーネ自身は西郷隆盛と面識がなかったのです。
しかも西郷隆盛本人の写真もありませんでしたから、仕方なく(かどうかはわかりませんが)、西郷隆盛の弟である従道と従弟の大山巌の顔つきを合わせて描いたそうなのです。
つまりこの時点でもう本人ではないわけです。
それをもとに銅像を作ったからあーら大変、全くの別人になってしまったわけです。
ちなみに西郷隆盛像の除幕式に招待された西郷夫人の糸子さんは、銅像を見て「宿んし(うちの主人)はこげんなお人じゃなかったこてえ」と驚き不機嫌になったといわれています。
私なんかはこの話を聞いて、「ああ、大山巌ってこんな感じだったんだ」と別の解釈をさせていただきました(笑)
だって、大山巌って、名前はとても有名なのに、どんな顔だったかはあまり知られていないですよね?
01.内閣総理大臣